昭和の大横綱大鵬について。
もちろん私は現役時代を知らず、また生前の姿も映像以外でみたことはありません。
王鵬の祖父・貴闘力の義父として認知しているぐらいなのですが、最近立て続けに2件大鵬について得た情報をメモしておきます。
秋田の旅館の娘に惚れた
大鵬の奥様・芳子さんとの出会いは、巡業で訪れた秋田の旅館榮太楼だったそうです。
その旅館で見惚れた芳子さんに大鵬はあの手この手でアプローチをしかけます。
"あの手この手"の詳細は、大鵬の伝記『知られざる大鵬』に記載がありますのでご興味あれば。
https://www.amazon.co.jp/dp/4834251934
その"あの手この手"の一つとして、サイン色紙を贈ったようです。
そのサイン色紙がなんとメルカリに出品されておりました。
https://jp.mercari.com/item/m26027600692
大鵬ファン垂涎の一品がなんと26万円弱とお求めやすい価格になっております。
メルカリで相撲グッズを漁っているときに発見し、コネクティングドットを感じました。
小笠原丸に乗船
大鵬が日本に来たのは(正確には樺太は日本の領土であったわけですから国内の移動は)小笠原丸に乗ってだそうです。
これについては、Wikipediaにも記載があります。
太平洋戦争末期、日本への米軍による原爆投下後、ソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。最初は小樽に向かう予定だったが、母親が船酔いと疲労による体調不良によって稚内で途中下船した[注 2]。小笠原丸はその後、留萌沖でソ連潜水艦L-12の魚雷攻撃を受けて沈没したが、大鵬親子はその前に下船していたため辛くも難を逃れた(三船殉難事件)。
大鵬の母が体調を崩し途中下船したことで、九死に一生を得たというエピソードです。
余談ですが樺太出身で九死に一生を得る系の相撲取りといえば、長谷川勝敏が記憶に新しいところです。(笑)
さておき、この大鵬のエピソードについて、全く同じ経験をされた方をTwitterで発見しました。
先日お邪魔したご高齢のお客さん宅。色々な作業が終わって、お茶を頂いた時に、自分の出身を聞かれて、お客さんの出身も聞き返したら、ちょっと難しそうな顔になって、
— 飴308@2㌔マン (@candylight308) 2023年2月15日
「北海道だけど、今は無い。」
と。なので千島か樺太かと思い、
「樺太ですか?」
と答えると、少し嬉しそうな顔に。
こちらの方がお客さんのお宅で聞いた話では、その方は樺太から小笠原丸に乗って移動していたが、友達と母親に唆されて途中下船したところ、九死に一生を得たとのこと。
大鵬と全く同じ船で同じように予定外の出来事でたまたま下船する運びになったようです。
こういった話を見ると、もともと「大鵬はたまたま下船したことで命拾いしたことがある」というエピソードが、なにか超常的な力によって助けられたのではないかと思えてきます。
最近仕入れた大鵬情報は以上です。
がんばれ王鵬、そして貴闘力部屋。